秋晴れの三連休。皆さんいかがお過ごしでしょうか。気になっていたけど行ったことなかった場所に行こうシリーズが続いています。
今回は浜名湖の湖北地域。井伊谷城と井伊家の菩提寺である龍潭寺を訪れました。
今から7年前に「女城主直虎」という大河ドラマの舞台になりました。
と言っても私自身ドラマは見たことなくて、気になっていたきっかけは、山岡荘八の徳川家康で、家康が井伊家の遺児はどうしているのかと、ぼそっと気にかけている場面が頭に焼き付いていたからでした。
当時の井伊家は、当主直盛が桶狭間の戦いで討死した後、跡を継いだ従兄弟の直親が謀殺され、その子供の直政(後の徳川四天王)に身の危険が生じる非常事態。その難局を直盛の一人娘の次郎法師が直虎と名乗り、直政の後見人を務め乗り切ったという状況でした。
この場面を読んだのは確か自分が高校生くらいだったと思うけど、ああ家康も祖父を家臣に殺されるわ、父は織田との戦いに明け暮れ最後は織田の刺客に殺されるわ、自分はその最中に今川への人質に送られ、裏切りに会い織田の人質になるわと悲劇のオンパレードで、弱い者の苦しみをこれでもかと味わっていたから、他人事じゃなかったんだなぁと思ったものでした。
今日はそれがどこで起きていたのか確認したく、現地の城跡に登って、領内を一望してみました。山を背に、南に向かっての景色です。
見通しが良く、ゆったりと大きな手のひらで包まれるようなおおらかな景色です。
井伊家は平安時代の在庁官人として始まり、中世には国人領主として現浜松市の北部一帯(都田、引佐、細江など)を治め、南北朝の動乱の時代には、後醍醐天皇の第四皇子「宗良親王」を迎え南朝方として活動しました。戦国時代に各勢力の間で大きく翻弄されましたが、徳川臣従後は井伊直正が活躍し、江戸時代に彦根に移り、幕末の大老井伊直弼を輩出しました。歴史的な家です。
右手前の森が、井伊谷宮(宗良親王が御祭神)と龍潭寺(井伊家の菩提寺)のエリア。
その向こうに東西に森があり、さらに奥が全体的に高台のようになっているのが分かるでしょうか。その高台が、三方原台地の北端になるかと思います。ちなみに写真左の遠方に高いビルがありますが、浜松駅前のアクトタワーですね。
試しに下の地図に概略を書き込んでみましたが、赤線が三方原台地の位置、黄色い丸が井伊家のおよその支配領域です。三方原台地の東側は天竜川で削られてできたのは有名ですが、北端はこの辺りを流れる都田川に削られ形成されています。西側は浜名湖ですね。
井伊谷宮では撮影を控えましたが、歩いていたら大きな木の実が頭に落ちてきました。
こんなこと今まで記憶にありません(笑)。
近くのおじさんもびっくりしていました。
さて、気を取り直して龍潭寺の境内に足を踏み入れました。緑や石畳が美しいですね。
入口の山門は現在保存修復工事をしていますが、来年の夏頃には終わる予定だそうです。
またここは次郎法師が出家した寺でもあります。この辺りのお家事情は入り組んでいますので、興味がある方はお寺のHPでどうぞ。
龍潭寺本堂南側の庭は、「補陀落の庭」と呼ばれています。補陀落はインドの南端にある観音霊場。白砂の五本が浜名湖のようです。
また堂内の廊下は、音鳴りのする鶯張り廊下です。外部侵入者に対する危険探知のため、京都の二条城や知恩院で有名ですね。
この本堂も江戸時代前期に井伊家の寄進により再建されたとのこと。まだまだ不安定な時代、苦労してきた井伊家の武門としての意識が、そうさせたのかもしれません。
二階建ての楼閣は、歴代住職の御霊を祀る開山堂(1702年建立)です。庭を愛でながら渡り廊下を歩けるよう配慮されています。この裏の方に井伊家の墓所があるのですが、敷地全体のどこに行っても、庭と建築が一体となった美しさ、落ち着きがあり、素晴らしい空間だと思いました。
本堂の裏側には、国指定名勝である小堀遠州作「龍潭寺庭園」があります。本日の大きな目的でもあります。秋晴れの中、ゆっくりと眺められて、本当に幸せでした。
庭は、本堂に沿い心字池を配し、その向こうに池に沿って築山が設けられています。中央には、ご本尊様から真っすぐ線を引いた位置に守護石、左右にそれを守る仁王石、手前正面に礼拝石が配置されています。
庭の解釈について、いろいろと語る事は必要ないのでしょう。
訪れ眺める人の心のままに感じ取ることができるものと察しました。
龍潭寺は臨済宗妙心寺派の禅寺です。
静かな心で向かい合えるとても良い時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございました。