今日から3日間、JIA日本建築家協会の全国大会に参加するため、愛知県に来ています。会場は、知多半島の中部国際空港の対岸に面した常滑です。
常滑といえば、古くは平安時代の頃から焼き物をつくり始め、現代ではINAX(LIXIL)が居を構える、建築用タイルや建材の一大産地として建築界では有名な場所です。
初めて訪れるので楽しみです。
その前に、熱田神宮に寄ってみました。都市の中に神宮の森が忽然と現れます。
熱田神宮がどこにあるかといいますと、熱田台地の一番南の先端に位置しています。ちなみに北端の崖に面して造られたのが名古屋城というのはご存知でしょうか。
濃尾平野というのは、多くの河川が集まり、海抜も非常に低いことから、昔から洪水に悩まされていた場所でもありました。
神社やお寺などは、昔は地域の最重要施設でもあるため災害を避けなければなりません。熱田神宮も同様にそのような立地となったわけです。
名古屋城に関しては、北側から(つまり上方から来る豊臣軍が)攻めづらくなるように配置されたとか。家康もよく考えました。
ご神域というのは、樹木と参道や建物に囲まれた空間の広さが、絶妙なゆとりを持って配置バランスを保っている、心を清々しくさせることを目指したものと解釈しています。だだっ広くても狭すぎても歩く速度がおかしくなるし、目線も落ち着かないし。数百年のときの中で心が納得する配置にたどり着いているのかもしれません。
熱田神宮といえば織田信長とピンとくる人は歴史通。桶狭間出陣に際し、願文を奏し大勝したので、信長はお礼として築地塀を奉納しました。土と石灰を油で練固め、瓦を厚く積み重ねてつくり、信長塀とよばれています。
お礼が塀?と思うかもしれませんが(私は思いました)、当時は神宮といえど決して安全なわけではなく、重要な防御設備として気品ある塀をつくりました。
三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並び、日本三大土塀の一つとしても有名です。