四日市にて1

こんにちは。11月8日の金曜日に建築家協会の役員会のために三重県四日市市に行ってきました。名古屋からJR関西本線に乗り換えて40分弱。駅としては近鉄四日市のほうが栄えているらしく、海側のJR四日市駅は閑散としていました。今日はその海側の話です。線路の東側に向かい相生橋を渡り、運河を越えていきます。コンビナートの姿を見て、四日市に来たんだと実感します。そこから5分ほど歩き会場に到着しました。本日の役員会の会場は、我が国最大の紡績会社、東洋紡の創始者であり、紡績王と呼ばれた第十世伊藤伝七の別邸(1896年)です。

とても綺麗な状態です。約600坪の敷地に木造建築と日本庭園を擁し、「玄関棟」と切妻造りの「さつき棟」は国の登録有形文化財に指定されています。立派だな~と見ていて、ん?1896年?って・・・明治29年?

そうです。いくらなんでもそのままの状態であるはずがなく、保存修復が入っています。実はこの建物は1906年からは料亭として使われ、要人御用達の迎賓館的存在として、四日市の繁栄の象徴でありました。しかしその料亭が、2017年に建物老朽化と後継者不在のため、歴史の幕を閉じることになりました。地域の方々の再生へ思いはありましたが、建物の想像を絶する老朽化を前に、専門家達は修復不能と匙を投げました。

もはや存続が風前の灯火となった時に、ひとりの実業家が再生への挑戦を宣言しました。

かつて織田信長の水軍として活躍した九鬼水軍末裔、九鬼家11代目当主九鬼紋七氏(やっぱり伊勢の国ですから、ここぞと言う時にはこういう人が出てくるんですよ)。修復不能と言われた改修工事は困難を極めたようですが、粘り強く慎重に進め、職人たちの知恵と支援者達に支えられながら奇跡的な再生を果たしたとのことでした。

実際私達が会議と会食で使わせていただきましたが、とてもよい建築でした。一つ一つの素材を大切に受け継いで使っていこうという意思を感じました。