二日目は街歩きです。弘前は教会が多く、歴史的建造物として大切に活用されています。写真は左から、明治8年創立の東北最古のプロテスタント教会である日本キリスト教団弘前教会。次に明治末期建設で、祭壇はオランダの聖トマス教会から、ステンドグラスはカナダのカロン神父から贈られたカトリック弘前教会。そしてイギリス国教会の流れを組み、宣教師であり建築家のジェームズ・M・ガーディナー設計によるイギリス積みレンガで建造された日本聖公会弘前昇天教会です。
日本では江戸時代にキリシタンは禁止されていましたが、幕末の開国をきっかけに各地に広がりました。西洋人が開国してまず建てるのは、商館と教会ですからね。弘前は宣教師館や洋館が随所に残されているのですが、私もなぜこんな本州北端の地にと思ったのですが、よく考えると外国に対し早くに開港した函館が近いんですね。函館から見れば、本州の一番近い城下町。函館から蝦夷地内部に進む宣教師もいたでしょうが、やはり本州に対して布教を広げようと思ったら、まずは弘前からだったのかもしれません。
その一方で弘前城の南と南西にはお寺が多いんですね。それもまとまった地域に集められていて、さしずめ寺院街といった様相。
弘前大学医学部附属病院の脇を南に下っていって現れたのが最勝院五重塔(国指定重要文化財)でした。津軽統一の際に戦死した全ての人々を供養するために建造されたといわれており、津軽家の菩提寺である長勝寺と並ぶ格式を持った代表的な寺院です。早朝の境内の石畳は美しく清められておりました。
ここから西に少し歩けば弘前高校の正門に着きますが、太宰治(津島修治)の出身校の旧制弘前高校はもう少し南東に位置し、旧陸軍第8師団跡地も含め現在弘前大学になっています。太宰自身は、青森中学、旧制弘前高校、東京帝国大学へと進みました。中学時代に一生懸命勉強した後、旧制高校時代に義太夫に凝ったり芸者と仲良くなったり、土手町でハメをはずしたことが、作家としての太宰のいい味を作り出したようです。
さて師団と言えばのおまけですが、市役所の横に建つこの建物、何か分かりますか?人気のコーヒーチェーン、スターバックスです。緑の看板が控えめについています。
1917年(大正6年)に、旧陸軍第八師団長官舎として建てられ、戦後は進駐軍のアメリカ軍司令官宿舎として使用され、それが今はスタバとは・・・。驚いたけど、そこまで活用してくれるっていうのは大したものです。この街の人々は、歴史的に価値ある建築を大切に長く使ってくれるから、まちづくりとしても上手くいっている気がしました。