仕事始め

新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2018年の元旦は、近くの臨済寺に初詣です。近所には出店が並び大賑わいの浅間神社もありますが、私としては静かに清涼な気持ちで新年をスタートしたかったので、家族で散歩がてらやってきました。

臨済寺は今川家の菩提寺で、徳川家康が今川家の人質時代に今川の軍師太原雪斎から武将として人間としての教育を施された場所でもあります。9歳から12歳の頃、当時は竹千代でした。

案の定、人影は多くありません。春のような日差しの中、穏やかな気持ちで石段を上っていきました。

何をお願いしようか、目標を設定するために昨年を振り返りました。

昨年前半はURAYAMA FARMのサポートを始めたり、静岡こども建築塾をいくつか外部から依頼されました。

夏から秋には林業関係の学びや出会いがあったり、後半は父が手術をして実家に手摺をたくさん付けたりと、仕事以外にもいろんな事がありました。

特に林業のことは大きくて、長年動いていなかった山の問題の解決についてきっかけになればと思っています。

何も手を付けなく放棄してしまったらそこで終わってしまうけど、将来の為の現状維持とし、何かが動いている状況を作っておけばその内チャンスが来るかもしれない。そんな開き直った心境です。

なので農業デザイン部だったHPのタグを、農林デザイン部に変えておきました(笑)

自然の恵みと自然素材を上手く組み合わせて、ひとりでも多くの人に届けていきたいですね。

父の手術も個人的には考えさせられることでした。足が不自由になり何だろうと思っていた所、たまたまテレビの医療番組を見て症状が当てはまり、すぐに検査して病名が判明。退院後、父の動線に手摺をつけ始めました。父親として息子に助けてくれ、手摺をつけてくれなんて言いたくない気持ちもあったでしょう。何をやってるんだと受け入れたくない所もありました。こちらとしてはたいした事でもないのですが、父としては5年前に介護の末他界した祖母の姿がよぎったのかもしれません。あの時も私が手摺をつけましたから。

ただ別にこういうのって、父の為だけにやっていることでは無くて、そばで世話をする母のためでもあるんですね。

全くダメだって気持ちにならないように、頑張れば出来るかもという状況を作ってあげないとリハビリにならない。更に言うと何でもかんでも楽させない(母談)。

祖母の介護を長年してきた母が大変にならないように、息子としてはそこだけが願いです。

父自体は好き放題生きている人なので、男同士心の中で線を引いたりうまく言葉にできない気持ちもありますが…。

これから高齢化社会が進み、自分達の世代がそういうことに向き合い始めていくことを実感しました。

健康であること、継続できること、つながりを持てること。そのようなことが私達の営みの基本となっていることに改めて思い至り、手を合わせました。

ちなみに臨済寺の本殿に至るアプローチは細く、一組ずつがやっと。ドヤドヤと何列かで行くのではなく、心を落ち着けて向かえる所がいいですね。参拝する人間の心を軽んじない配慮のような気がします。

3日は富士宮の富士山世界遺産センターに行ってきました。設計は、私が大学2年生の設計演習の授業で指導を受けた建築家、坂茂さんです。既存の鳥居とのコントラストが面白いなと感じました。

初め、木の逆さ富士の部分が大きすぎてプロポーションがおかしいんじゃないかとグルグル周りを回ってしまいました。予算オーバーもあったらしいので調整したのかもしれません。内部の螺旋状に登っていく展示動線では、スクリーンに映る人々の影が富士登山の姿を表現しているようでした。

山岳信仰の山でもある富士山。大きなものを眺めることで感じるものも在ります。この地で生活できることに感謝して今年も頑張っていきたいと思います。