JIA日本建築家協会東海支部の岐阜大会に参加するため、岐阜市の岐阜メディアコスモスみんなの森にやって参りました。
実は岐阜に来るのは初めてです。新幹線では数え切れないくらい通り過ぎているのに、興味はあれどなかなか機会がなくて。
岐阜駅で降りましたが、静かだけどしっかりとした街区のまちという印象でした。平日昼間で賑やかではないけれど、皆落ち着いています。想像していたより山が近く、自分のいる位置や方位が分かりやすい街並みでした。
会場となった建物は伊東豊雄さんの設計ですが、どうも最近「みんなの〇〇」というネーミングが目立ちますね。
確かに公共建築は市民のものですが、安易にキャッチーにしているような気がしています。昔、三谷幸喜の「みんなの家」っていう映画があったけど、なんかコミカルな雰囲気が意匠にも出てるんだよな~と、中を歩きながら悶々。そこまでしないといけないもんかと思いつつ、二階の図書館のデスクで2時間ほど仕事をしてしまいました…(苦笑)
午後、初めて金華山山頂の岐阜城を訪れました。私にとってはこちらも大事な目的でした。今から20年程前の大学生の頃に司馬遼太郎の国盗り物語を読んでから、ここからの眺めはどんなものかとずっと想像していました。
来てみれば、確かに麓から急峻な岩山をロープウェーで上って行き、さらに歩いて登るから結構辛い。この城をやっとの思いで斎藤氏から奪い取った信長が、不便だからと降りて麓にまちをつくった気持ちが痛いほど分かりました。また当然とはいえ、こんな高い山の上でも井戸があるのには驚きました。
しかし濃尾平野をぐるりと一望できるロケーションは素晴らしい。北からの山並みがちょうど平野に突き出たような形のこの地から、西は足元を流れる長良川の遠く向こうに関が原、東に木曽御岳山、南に名古屋の超高層を望むことができます。斎藤氏にしてみれば、ここにいれば織田の軍勢が攻めてくるのが丸見えだったことでしょう。美濃を手に入れるのに時間がかかったわけです。
そして夜は長良川の鵜飼いを見に船へ。川原町をぶらついて、日が沈んでくると風情がでてきました。
今回の岐阜大会のテーマは「水の力」。
長良川という大河が、これほどの流域人口を擁するにも関わらず清流として維持されてきた在り方は、これからの時代への大きな示唆になるのではないかというものでした。
海がない美濃にとって、川は重要なインフラでした。川湊を設け、商業や流通の重要な道としても位置づけられ、居住や文化を含めた生活全ての中心でした。
私達の身の回りでも、既に身近なものに戻る時代が来ているような気もします。付き合い方の再編集というのでしょうか。川面の上で地酒を頂きながら、色々と感じることができました。
名古屋や岐阜に来ると信州がとても近く感じます。木曽山脈が見えるということはもちろん、料理の味付けであったり雰囲気であったり。静岡とはまた違った風土を楽しんだ一日でした。