ブログのタイトルが個人名っていうのも変な感じなんですが、ここ一ヶ月位、2006年に亡くなった建築家の篠原一男さんの本を読んでいます。
先日コンペの審査員を一緒にやった西沢大良さんから、東工大での話を聞いたのがきっかけで、今さらながらこの建築界の巨匠に興味を持ちまして。
実は東工大と聞くと、工業大学だしあんまり芸術系のイメージが沸かないなぁと、手が出ずズルズルきてしまっていまして。同じ首都圏の国立大学にいながら駄目ですね。わりと近くに住んでいたのに。
西沢さんは、かつて篠原さんの図面をパラパラ見て「建築ってこういうことなのかな」と少し分かったような気がしたと言っていましたので、どんな世界なのか自分で実際に読んでみると、
「・・・うん。これは、凄いな。何か今の建築家達、この人から始まったようなところ多いのかも」って感じでシゲシゲ見てしまう。
横国の教育とはだいぶ違うけどこれは学ぶとこあるわ。
若干こっちの方に惹かれる自分もいる。
こりゃ世界中の建築家が刺激を受けるわけだ。
なんてこった!俺は今まで何してたんだ、とかなり後悔してます(笑)
でもしょうがない。これが出会いのタイミングです。
図面集いいです。ろくに写真が無いのがいい。本当に空間を想像する。
住宅論もいいです。建築家として、いちいちクライアントに言わない自分だけの思いに共感するところ、多です。篠原さんの顔つきも好きです。
大学1年の冬、まちで気になった建築の写真を撮ってこいという課題が出て、カメラを片手に青山をぶらぶら歩いていたことがある。
その時、アルド・ロッシが設計したアンビエンテ・インターナショナルにたまたま出くわし、何だこの建物はと立ち止まって眺めていたことがある。豪華な材料というよりも外部からでも分かるその幾何学的な構成に違うものを感じた。
横国の先生たちの嗜好とは違いそうだから黙っていたのだけれど、その時に撮った写真はずっと手元に残っていた。
篠原一男さんは、アルド・ロッシは自分と似たところがあると言われたようだが、惹かれた自分は分かるような気がした。数学的なんだ。
機能や合理性とも違う、空間を生み出す原理の追求。生み出された空間と人間との格闘や化学反応、身体的呼応。
社会システムの追求とは違う建築、東工大もいいなあ。