砺波へ

北陸新幹線が開通した今週末、建築士会の東海北陸ブロック大会があり富山県砺波市にやってきました。といっても交通手段は残念ながらバス。片道6時間、頑張りました。

 

実は富山県に来るのは初めて。北アルプスがこんな風に見えるんですね。

南側にこんな山脈があるってだけで、静岡の自分としては結構感動しちゃったりして・・・。

写真は駅前のホテルからですが、夕日が映えてオレンジ色になったり、とても素敵でした。

さて砺波といえば散居村(このリンクで上空からのイメージを掴んで下さい!!)

地域一帯に8000戸以上の家が100~150m位の間隔で散らばっており、東側を向いて建った(アズマダテ)大きな家の周りに屋敷林(カイニョ)を植え、周囲を水田に囲まれています。

この形式は、個々の家が自給自足の生活を確立するためにできたシステムで、屋敷林は防風林、冬の薪、食料としての役目を担い、家の周りの水田から米を収穫していました。

 

うん、そこまでは他でもある話。では何故に全ての家が隣の家と離れていたのか?

実は砺波平野は庄川という河川の扇状地としてできた土地。地面の下には砂利や礫が広範囲に分布しており、表層の田んぼの土は20~30センチくらいしかありません。

そのため土に保水力が無く、田んぼに水をいれてもどんどん下に浸透していってなくなってしまう。

常に水を入れておかなければいけないから、管理するためには自ずと近くに住むしかない。目の届く範囲ということで自分の家の周囲を水田にし、結果的に隣の家と離れざるをえなかったとのことでした。

 

普通の村では、集落は集落でかたまり、それと農地は離れてますよね。それだとここで生きるにはうまく機能しないため、地域全体が集落と農地を混ぜあわせた形態である散居村になったということでした。

 しかし今、深刻な問題が起きているんです。

 

それは、「空き家」。


この伝統的な形式の建物も、現在300軒ほど空き家になっているとか。一度人が離れてしまうと、一気に廃墟になっていってしまうので、地域の安全と景観維持の面でもほっとけない状況です。

 

その一方で持ち主は、離れて暮らしているんだけど先祖に申し訳ない気持ちがあったりしてなかなか手放さない。

 

新しい利用が進まない(泣)

大変なんです。

砺波市役所で働く僕の友だちも苦労してました(ガンバレ)

 

今全国で同じような問題が起きています。社会のためには住環境を適切に更新していかなければいけないけれど、個人として簡単に取り壊すのも躊躇われる。高度成長の時代なら、また大々的に建てていこうと思うけど、低成長で人口減少社会だとイマイチ踏み切れない。


住むということで成立していないのであれば、機能を変えて活用を目指す。どこかで腹を括っていかなければいけないんでしょうね。