本日は山梨に計画しているセカンドハウスの敷地調査に行ってきました。
静岡から向かうと甲府盆地が開け始まるあたりですが、このあたりにも先日降った大雪がたくさん残っていました。
小春日和の静岡から来て凛とした空気を一息吸うと、なにか本当に遠くに来たように感じますが、全国的にみれば静岡のほうが異常なんでしょうね(笑)
この町は最近合併したおかげで庁舎がいくつもあるので、都市計画図を入手したり道路や水道を調べる為にあちらこちらへ出向く必要があったのですが、道すがら街の中に倉や宿場町的な構えの建物、想定する人口の割に銀行や官公庁の建物が多いことに気づきました。
町立小学校に至っては創立125周年を祝う垂れ幕と、明らかに文化財であろう西洋風の建物まで・・・。
そう、ここは昔「富士川舟運」で繁栄した宿場町でした。
旧秋山家(追分館)で資料を見てきましたが、この町には甲州三河岸のひとつである青柳河岸があった上、駿州往還などの重要な街道も通過し、物資の集積地として大いに栄えたそうです。
現在はJR身延線があるので富士川舟運自体はありませんが、やはりその名残からこのあたり一帯の中心的な地域となっているようでした。
建築設計という仕事は、毎回新しい土地や地域との出会いから始まり、その成り立ちや背景を探究しながら進める仕事です。
どこにアイデアがあるか、その空気を掴めるかは宝探しのようなところもありますが、こうして町のことを知っていくことができることもこの仕事の喜びのひとつだと思っています。