天気のいい休日。
久しぶりに用宗海岸に行ってきました。
風は強かったけど太陽の光が温かく、波の音で癒されました。
このあたり、昔は武田水軍の本拠地だったとか。
近くの蜜柑畑になっている丘陵の上には持舟城(現在の地名と漢字違い)という城があり、駿府の街の防衛に一役かっていたそうです。
実は最近、とっている新聞の朝刊で古城の話を連載しており、楽しみに読んでいます。
有名なお城もありますが、多くはあまり知られてない城や砦のお話。
中には私が小学生のころよく登ってた近所の山の上の小さな城跡の話も・・・。
開けた都市や集落の中心に城があるからといって必ずしもそのまちを外敵から守り通せたわけではありません。
多くはそのまちの周囲に衛星状に配置された出城たちの緊密な連携によって都市防衛が成り立っていました。
この駿河湾沿岸においても、駿府から西に安倍川を超えて持舟城(静岡市)、大崩海岸を超えて花沢城(焼津市)、さらに大井川を超えて小山城(吉田町)、相良城(牧之原市)と連なり、徳川との激戦の地である高天神城(掛川市)の兵站を支えていました。
舟で何刻、騎馬で何刻・・・。
ひとつ穴が開けば雪崩式に崩れていってしまったでしょうから、昔の人は今よりもっと面的に広いスケールで地域ごとの関係性や国という単位を捉えていたかもしれません。
右は現代の防波堤。みんな大津波のことばかり騒いでいるけれど、日常の波や浸食から地域を守ることもとても大切なこと。全部海岸線で大変な県だけど、要所要所で淡々と力強くがんばってほしいものです。