二世帯住宅を計画している。
敷地の制約や建物のフォルムなどいろいろなイメージは浮かぶけど、やっぱり最後に戻ってくるのは家族達の距離感。二世帯住宅とは何なのか、思いを巡らすことも多い。
あたりまえのことだけど、二世帯住宅を選択をする人はたとえどんな事情があるにせよ、心の根底のどこかで多世代家族というものを肯定し、その家に期待している。
選択しない人や人間関係にがまんできない人は、最初からそんなことをしないし、最終的にどんなに大変でもがんばってお金をつくり離れて暮らす。
人が生活する土地を決めるということは、それほど大きなことだと思う。
だから二世帯住宅を設計するということは、わざわざそんな(あえて言えば)選択をした人の住宅を設計するということなのだ。そこを外してはならない。
計画にあたり、よく敷地内でまったく別にしてほしいという人がいるが、わざわざそんな選択をしておきながらこういう建て方をした場合、実はうまくいかないケースが多い。
人の心は不思議なもので、今まで肯定していたものから否定に走る場合、反動からか、それがうまく付き合うコツとかなんとか理由をつけながら、鵜の目鷹の目で気になることを探し出そうとがんばり始める。
本末転倒になっていることに気付かずに、行き過ぎたプライバシーを求めることは、相手方に対するマイナスの想像力としても働きやすく、ジレンマに陥りやすい。
やはり何か、おおらかなものを求めたい。
二世帯で生きるということは、人の一生として同時に把握する時間の射程が伸びるということでもある。
過去や未来の自分の人生のステージを日常的に目にするわけだから、当然いろいろなことも思う。
しかしだれもがいろいろな世代の人たちと関わり合いながら生きてきたのは大きな事実。
同世代だけで生きることの自由さも大切だけど、良き関わりのお返し合いを日常的にできるような家になれば、家族の在り方も違ったものになる。
絆や恩返しほど大袈裟ではない、そんな距離のデザインを模索している。